Epilogue Part9 【内調】内閣情報調査室

Epilogue Part9
【内調】内閣情報調査室

そこで私は、
『そういえば私は、中学の修学旅行で京都と奈良に行ったのですが、学校でその京都・奈良での修学旅行での短歌の作成を宿題に出されたのですが、その宿題の短歌を作成しようとした時に、何故かほんの一瞬で思い浮かんだ短歌があったのですが、これは我ながらよく出来たと思い、友人や知人にも披露したところ、異様な程皆に褒められその上色々と質問までされたのです。
因みにその私の自作の短歌というのが、

かも川の 清き流れは 人々の 心洗いし きょうを流れる】

というものです。
ここで、まずこの【きょう】は、京の都の【】と、こんにちの【今日】をかけて掛詞になっています。
まあこれは単なる、偶然の産物ですけどね。そして私は、これも全く知らず分かっていなかったのですが、この京都を流れる【かも川】の【かも】ですが、この短歌を友人や知人達に披露した時に、
京都の【かも川】という漢字は、【かも川】の上流にある上賀茂神社の近くを【賀茂川】、下流下鴨神社近くを【鴨川】と表記するんだよ。その京都の【かも川】が上流と下流では漢字が変わる事を、君は元々知っていたの? 』
だとか
『 それはあまりにも良く出来過ぎてるよね。それって本当に君が自分で作ったの?誰かに教えて貰ったり、昔誰かから聞いたりだとか、誰かに作って貰ったんじゃないの? 』
等と、まるで私を疑う様にやたらと熱心にしつこく私に尋ねるので、その度にいつも驚いていたのですよ。
なぜなら、私としては単に私の自作の短歌を披露したというだけであり、それをただ評価して貰いたいと思っただけなのに、
【一体何故皆、サラリと交わさずに、そこまで真剣な顔をしてそんなにしつこく突っ込んで聞いて来るのであろうか。】
と、ずっと不思議に思っていましたし、そもそもそんな風に
【私では無く他人が作ったものではないのか】、等と疑われる事自体が不愉快だったんですよ。
それで私は思ったのですが、ひょっとしてその短歌を人伝えに聞いた何者かが、【【あい】さんか誰かから、何か天皇家に関する事を私が聞いていて知っているのかも知れない。】と思い、そうした何らかの事情を知る何者かが、私の知人や友人達に頼んで、【私が、天皇家に関する事で何か、聞いたり知っている事があるのかを確かめようとした。】のかも知れないと思ったのですが。』
と言ったのだ。

すると、K氏は
『そりゃそうですよ。そんな短歌が、ふと一瞬で思い浮かんだり即興で作れるのならば、あなたはあの有名な女流歌人の【与謝野晶子】になれますよ。
誰だってそんな短歌が『一瞬で浮かんだ。』等と言われても信用しませんよ。皆、【おそらく誰かから教わったに違い無い。】と思うでしょうね。
これはいくら何でもあまりにも良く出来過ぎているのです。
そんな短歌が一瞬で作れる様な才能がある人ならば、美的な物を見る度に即興でポンポンと、いくらでもそうした短歌が作れるものですからね。それであなたは、その後も俳句や短歌等が一瞬で思い浮かんだ事はあるんですか?』
と聞かれたのだ。

それで私は、
『なるほど、そうですか。私にこの様な短歌が一瞬で作れるのならば、あの有名な女流歌人与謝野晶子】になれる程上手く出来ているという事なんですね。
まあ私はその後は結局、短歌など1個も思い浮かばなかったんですけどね。』
とK氏に言ったのだ。

私は続けて、
『 という事は、この短歌の【かも川の清き流れ】とは【血の流れ】を示しており、つまり天皇家は、いにしえより西に都を置き、平安時代から明治維新以前までは、【西の京】である【京都】に都を置いていたが、明治維新後からは、【東の京】である【東京】に遷都した事と同様に、【血の流れ】が別の場所に移動した事を表しているのかも知れませんね。

また、 京都の【かも川】が同じ川でありながら、上流と下流で【賀茂川】と【鴨川】と、漢字での表記が全く変わるといった極めて特殊な事例から、天皇家から一般家庭に母が移り変わった事と何か関係しているのではないか、と今ふと思ったのですが。
とすれば、この短歌中の【清き流れは】という部位が、【きよこの血の流れ】を意味するという事なのでしょうか。』と尋ねたのだ。

するとK氏は、
『 それは勿論あなたが思った通り、【かも川】の流れとは、【血の流れ】つまり【血統の行方】の事でもあるでしょうね。
あなたは【あい】さんか誰かから、その短歌を聞いて知っていたのだと考えられますから、この短歌の中の【清き流れは】という部位が、何者かの強権発動によって、あなたのお母さんの名前が、成人した頃に突如として、家族が全くあずかり知らぬところで、【静子】から【喜代子】(きよこ)ヘと戸籍や住民票の名前を、強制的に勝手に変更されていたという、国の法律を完全に度外視した、本来ならば通常では絶対に有り得ない極めて特殊な事象があなたのお母さんの身に実際に生じた事や、更にその強大な権力を持つ何者かによってあなたのお母さんが、強制的に勝手に改ざんされていた【喜代子】という名前と、昭和天皇の孫であり平成天皇内親王である【紀宮清子】氏の【清子】という漢字が、普通大抵は、あなたのお母さんのその変更後の名前である【喜代子】と同様に【きよこ】と読める事とが関係しているという事でしょうね。

そしてそれは要するに、あなたのお母さんのその後の人生、若しくはその次世代の子、即ち、昭和天皇からの孫に当たる世代には、この【何者かに】というよりも間違い無く、【昭和天皇】の強権発動によってすげ替えられた【喜代子】という、その名前の字の如く【喜ぶ代の子】になリますよという意味や、昭和天皇の孫であり平成天皇の娘である【紀宮清子】内親王と同様に、あなたのお母さんの次世代の子が、【昭和天皇】ご自身の孫であるという事を、娘の名前、つまりあなたのお母さんの名前を天皇の強権発動により強制的に改ざんさせる事により表したという事なのでしょう。』
と言ったのだ。

続けてK氏は、
『 然しながら、この短歌にはそういった事以外に、【分かる者には分かる重要な意味が有る】と考えられますね。

この京都の【かも川】流域には、上流に上賀茂神社があり、下流側には下鴨神社がありますが、これは上流と下流というよりも、京都の出町柳より北側が賀茂川、南側を鴨川と呼ぶんですね。

その事やまた、その短歌中の【きょう】が、【今日】と【京】の両方を意味する事から、【今日】は今日【こんにち】即ち【現在】を意味し、【京】は【帝都】、つまり【皇居のある都】の事ですから、【明治維新以前】は【京都】が【京】であり、【明治維新後】は【東京都】が現在の【京】に該当するのです。
そうした事からも、恐らくこれは【南北朝】の事を意味しているのだと思います。
あなたは、【南北朝時代】という歴史を聞いた事がありますか?
鎌倉時代室町時代の間に天皇家が【南朝】と【北朝】に分裂抗争をしたのですが、その時の【南朝】の【後醍醐天皇】の名前はご存知ですか。
それに現在の天皇は【北朝】系の子孫であるはずなのに、【南朝】の【後醍醐天皇】の重臣である【楠木正成】像が何故か皇居外苑にある事はご存知無いでしょうけど。

この短歌は、おそらくその【南北朝】の事を意味しているに決まってますよ。

それにしてもこの短歌の中の【人々の】という箇所がまた素晴らしいのですよ。
いや、この【人々の】という箇所から、昭和天皇が為政者のお立場から【人民或いは臣民】を思いやり考えられている様子がありありと感じ取れるのですよ。
これに私はまず、感動致しました。
と言っても、これは勿論あなたの事を褒めている訳では無いですよ。
私は、あなたがこの和歌を一瞬で思い浮かんで詠んだなどとは思っていませんから。
実際に天皇が詠む和歌には【人々】という言葉がよくあるのです。
あなたは、ここは天皇であれば、【下々の】等と詠むのでは無いかと思っているのかも知れませんが、それはまさかさすがに、実際にはいくらそう思っていたとしても、自国の国民の事を、【下々の】だなんて和歌として詠む訳にはいかないでしょうからね。
まあそれでも良いのですがね。
ですからこの

かも【賀茂】【鴨】川の 清き(きよき)流れは 人々の 心洗いし きょう【京】【今日】を流れる

の【人々の】という箇所を、【人民の】と入れ替えてみると、どうです?

かも【賀茂】【鴨】川の 清き(きよき)流れは 人民の 心洗いし きょう 【京】【今日】を流れる

或いは

かも【賀茂】【鴨】川の 清き(きよき)流れは 臣民の 心洗いし きょう 【京】【今日】を流れる

となり、ピタリと当てはまり、天皇陛下が詠まれた和歌として違和感無く、しっくりくるのですよ。

因みに【人民】とは、国民の中から既存の支配層を除いた部分,すなわち被支配層としての国民を指すのです。
また【臣民】とは、君主国において、君主に支配されるものとしての人民の事です。
憲法下においては、天皇と皇族以外の国民は全て【臣民】と呼ばれていました。

【 臣民とは民は臣、すなわち天皇の臣下である。【臣たる民】として民を臣に昇格させ、天皇の下に官吏(官公庁や軍など国家機関に勤務する者)や民(民衆)の身分制の廃止後の君主以外の全ての者が君主に従属する臣民として平等化。
臣民とは、 subject の訳語である。一方で、現憲法の言う国民とは people を含意する nation であり、また citizen の事。】

普通一般的に、短歌や俳句を詠む場合は皆、自分自身を視点にしているのですよ。
それか若しくは、親しい人物に焦点を当てたりするものなのです。
それをましてやあなたの様な人が中学生の時に、人民の事を思いやり考え、自分自身や親しい者以外の、一般の人々の気持ち等に焦点を当てるだなんて事がある筈が無いのです。

故に、そうして

【かも川【賀茂川】【鴨川】の、清【喜代(喜ぶ代)】き 川の流れによって、人々の【臣民の】心が洗われる様に 】

等と、自国の国民である人民或いは臣民の事を、自分自身や親しい者以外に真っ先に思い考えるのは、正しくそうした為政者としての立場からの視点であり、中学生がその様な視点を持ったり、考えたりは決してしませんよ。
とはいえ、その和歌を【あい】さんが、あなたに記憶させようにも、幼児には【人民の】や【臣民の】等と教えたところで、何の事かもさっぱり分からない訳ですから、分からない言葉では幼児には覚えられないでしょう。
だから幼児の時のあなたにその和歌を教える為には、その部位は【人々の】とお教えする
他は無いでしょうからね。

こうした点等から総合的に考えて、あなたの自作だというこの短歌は、正に昭和天皇が、ご自身の子孫ヘこの和歌を贈られて、それが正しく伝わる様に【あい】さんに託されたのに違いありませんね。

それとまた、皇室では、お子様がお生まれになると、天皇陛下から和歌が贈られるという習わしがあるのです。

それがまさか昭和天皇の【ご落胤】であるあなたのお母さんやその子のあなた方がこの様な酷い状況になられるとは、昭和天皇は思いもされ無かった事でしょうね。

ですがまあ、こうなってしまった以上、要するに結局は、あなたが今後について、あちら側にどういった条件を突き付けるかなんですよ。』
と、言ったのである。

その後もK氏は、【内調】内閣情報調査室の外事の部長と、幾度もそれについて話し合う事となったのだ。